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マリーは目の前の人への愛を、マルグリットは人としての正義公平を:マリーアントワネット1/6

1つ前のエントリで書いたように土曜は海宝さんのコンサートを聴くことにしたので、あいてる日曜に何か入れたくて入れてみた。動機としてはそんな感じ。

そしたら、いい意味で見事にぶん殴られたという。結末への解釈などは提示せず事象だけを見せて、それについてどう受け止めるか、どう自分が反応するかはオーディエンスに委ねるスタイル。なのでウエストサイドストーリー、レミゼノートルダム的な終演後の感覚だった。

東京公演やってたのも知っててでもなんか舞台映像もそそられなくて行かなくて。ドレスに興味ないしな~、クンツェ&リーヴァイコンビの作品って出るキャストさんたちけっこう偏ってんじゃなかったっけ~と。でも、行けて良かったわ。ただしつらくて悲しくてやるせなくてあちこちで泣いてしまったので、とてもじゃないけど上演期間中何回も観るのは個人的に無理。


『マリー・アントワネット』2018PV【舞台映像Ver.】

いつもどおりあらすじ割愛でネタバレありな演者さんたちの感想を。みなさん歌うまかったしまぎれもなく歌ってたんだけど、それでも「演技」が心に残る後味だったな。

※そうそう、私は歴史に疎いからこの作品をそのまま受け止められたらけど、歴史が好きだったり史実に詳しい人からしたらもしかしたらモヤッとするところも多々あるのかも。

花總さん、素晴らしかった…!以前レディ・ベスを観たことがあり、そのときは「歌がアレ?ってときもあるけど、王女から女王、特に女王になってからがはまってるなぁ」と思ってた。彼女を観るのは2度目なので前回と今回どちらが通常運転かわからないけど、今日は歌も演技もすごかった。。

もちろん歌だけを抜き出して上手に歌う人は他にもいるかもなぁとは思うんだけど、あまりにも「マリーが歌ってた」。無理に高音域を地声で押し通すことなく、攻めと抜きがシームレス。高音もこんなに歌える方なのね。

彼女のマリーは、確かに世間知らずで華美な生活ばかりだったかもしれないけど、私にはそれは当然で仕方のないことだと見えた。それが彼女の日常であり、また彼女が演じようとしたフランス王妃だったのだと。

そしてマリーは、目の前の人を愛し、その人がしたいと思ったままにさせてあげようとする人だった(このあたり、ちょっとロアンやオルレアンを早々に嫌う描写が矛盾するといえばするのだが)。現実を見ていないと何度も言われていて、それはそうかもしれないんだけど、彼女は事実よりも意志や願いを尊重する人。

他方、昆さんのマルグリットは、正義と公平を貫く女性。悪いことをしていないのに生活に困窮する民衆を放っておけなかったし、マリーや貴族のことを憎んでいたのは民衆の暮らしを見ずに自分が豊かな暮らしをしていたから。理不尽な理由で嫌ったり憎んだりする人ではない。だからたとえ民衆に都合が悪くても、マリーや貴族に着せられた濡れ衣は許せなかった。

自分のアクションでマリーを裁判にかけてしまったこと、そして処刑してしまったこと。劇中では描かれていないマルグリットのその後は、きっとそういう後悔と己の非正義に苦しい日々を送っただろうと思い馳せてしまった。

マルグリットは、処刑台の前でマリーの手をとって送り出したとき、深々とおじぎをして、そのまま頭を垂れたまま動かなかった。あのとき、その場で崩れて泣き出して精神錯乱してしまうんじゃないかと思うほど、昆さんのマルグリットは小さくて痛々しかったし、カーテンコールでもしばらく役から心が戻ってこないように見えた。ちなみにマリーの花總さんは、全盛期のマリーの衣装をまとって出てくるせいか比較的早く微笑み始めていて、それはそれで心情の切り替えがすごいなと思った。

昆さんのマルグリットは、描写されるとおり若くてかしこくて肝の据わった女の子だった。ただ、歌はエポニーヌで完璧なイメージがついてしまったせいか、声が潰れたりぶれて聴こえたところが意外だった。けっこう高めの音域まで地声で出る人だと思うんだけど、怒りを演じてるゆえそう聴こえるところが散見されたのかも。初演は新妻さんがマルグリットだったらしいので、なにそれめっちゃ観たい…と思った。もうその可能性はないでしょうが。。

フェルセンの古川さんはお名前も人気もよく耳にしていたけど初めて拝見。ほんとに浮き世離れした美しさとスタイル。一人等身がおかしい。吉原さんだってかなり背が高くてかっこいいのにその上をゆく。美しすぎてちょっと2.5次元ぽささえある(2.5次元観たことないけどたぶんこんな感じ?って思う)。滑舌がはっきりしないように聞こえたのは、前日の海宝さんが滑舌良すぎたからかな。敵が強すぎたか(敵ではない)。

高音のとき一瞬お腹に手をやるのが癖みたいだけど、低音も高音もちゃんと出ていたし、ただドライなのではなく愛ゆえの距離の取り方なのだと納得させてくれる、クレバーなフェルセンという感じの役作りかなと。比べてしまえばYouTube舞台映像の田代さんのフェルセンほうが情感豊かでドラマチックに展開してそうな気もするし歌も「うまいー!」って感じなんだろうなとは思うけど、儚い声でマリーとこの世を憂うのが、この回のフェルセンとしては私はとても好きだった。

離れたり逃げたりするけど、最後はどうにかマリーを助けようと、完敗がわかるまであきらめず信じて動き続けた人として描かれていたように思った。この作品は史実どおりのところとフィクションのところとどちらもあるようなのだけど、彼の存在・行動はどうなのだろう?

佐藤さんのルイ、歌と演技がよく合致していてうまかったなぁ。彼は国王ではなく平凡な鍛冶屋だったら幸せに暮らしただろうと思わせられる。彼の鍛冶屋としての素質を活かしたギロチンが、自身やマリーや貴族を処刑することになるなんてあんまりだ。ひとつ、マリーに毎回「愛しい人」と言うのはちょっと違和感あったけど、おそらく原語だとhoneyとかdarlingとかそんな感じの意味のドイツ語なんだろう。

ルイは民衆の罵声を浴びているときも投獄されるときも、弁明したり憤ったりせず、国民の声を聞こうとした。秩序がどうこうではなくそこにいる人たちの意志を尊重しようとしたところが、マリーとおんなじだと思った。ある意味この夫婦は、理想を掲げて人を無碍にしないところがよく似ていると思った。

ほか細かいところは、楽しみにしていた彩乃さん演じるランバル公爵夫人の歌がめちゃ少なかった!でも短いながらも美しい声は聴けたし、アルトに音域は意外とハスキーなんだなというのも発見だった。だから彩乃さんの声は、ソプラノ音域は声量豊かなフルートみたいな、アルト音域はオーボエみたいな響き。

吉原さんのオルレアン、美声だし歌もいい感じだったのだけど貴族感はもう一歩。品があるけど悪巧みがすごい影の黒幕的なキャラクターだったらもっと恐ろしかっただったかも。ジャックはアンサンブルさんだと思っていたので、やたら歌うまいなーと思ってたら、お名前をよく聞く坂本さんだった。終わってから気づくパターンはパレードのときと一緒だ。。パレードといえば、その頃から美声に注目している吉田萌美さんもアンサンブルの中から見つけることができて、民衆の勝ち気で嫌味な女性の演技がとても目を引いた(さすがに歌声は拾い出して聴き分けられてない)。

彩吹さんのローズと駒田さんのレオナールコンビは、コメディ担当にはもったいないくらいしっかり歌っておどけてくれて、脇を固めてくれていた。せっかくハイクオリティなおふたりなので、もっとおいしい見せ場があっても~と思うくらい、お話の本筋には絡んでこなかった印象。


マリーの人として/母として/妻として/愛人としての愛情深さに惹かれ泣かされ、フェルセンの控えめなやさしさと思い続ける愛の深さに癒され、マルグリットの正義を貫きたいだけなのに言葉を失うような時代に流されていくつらさと後悔にまた涙。本当に観て良かったと思ってる…が、お正月からなんておどろおどろしい作品を上演してるんでしょ。不思議。あと書きながら思ったけど、それぞれの方向性としてマリーはバルジャン、マルグリットはジャベールなのでは?これはレミゼなのでは?と思えてきた。

そうそう、作曲者のリーヴァイさんが客席にいらしていて、うわーふつうにいるんだーと。まだ開演前だったし特にファンではないので興奮することもなかったけど、終演後は心の中で「(この心乱されるぐちゃぐちゃな感情をもたらしてくれて)ありがとうございました~」と悶えていた。

あ、今更だけど会場は梅田芸術劇場メインホール。1階席の真ん中よりは前方で少し下手寄りだけど、とてもとても見やすい席だった。音響のバランスも良くて、曲が曲なせいかテーマがテーマなせいか上品で豊かな響きに聴こえたように思う。ただし、椅子がすごく腰痛くなる形(腰の後ろにクッションのようなパーツがあり腰が反ってしまう)で、すごく前屈したくなったのだった。笑


1/6公演キャスト

マリー・アントワネット花總まり
マルグリット・アルノー昆夏美
フェルセン伯爵:古川雄大
オルレアン公:吉原光夫
ルイ16世佐藤隆紀
レオナール:駒田一
ローズ・ベルタン:彩吹真央
ジャック・エベール:坂元健児
ランバル公爵夫人:彩乃かなみ